桑名→(富田) 9.6km
さて朝ごはんを食べた後、前回の「七里の渡しクルーズ」の続きから歩き出します。

あちらが海の方、脇本陣跡の「山月」が見えます。

こちらは進行方向です。マンホールは、やっぱり七里の渡し。

今や全国チェーンでレストランも出している「柿安」ですが、桑名が発祥の地。
桑名でもいろいろ経営してますが、

ここが本店です。

青銅製の鳥居です。
もともと鋳物業が盛んだった桑名らしい鳥居。「伊勢の桑名に過ぎたるものは、銅
(かね)の鳥居に二朱女郎」と言われていたものとか。普通の宿場では女郎さんは
一朱なのに桑名は高かったらしいですね。江戸と京都を除き、東海道では第二の宿
場町でした。

この近くに「歴史を語る公園」というのがありました。誰もいませんでしたが。

1枚目は日本橋、2枚目は富士山、3枚目は三条大橋。
この石垣は、桑名城のもの。


日本一うるさい祭「石取祭」の資料館「石取会館」。
鉦や銅鑼をジャンジャン鳴らします。ここでも鋳物の町。

柿安の食肉部門の本店。お客さんが来ると、よく買いに走りました。


なぜか仏壇屋さんが多いですねぇ、桑名。仏具が鋳物だから?

カクっと曲がる道。宿場町の特徴です。

そうこうしているうちに、川に出て来ました。大きな常夜灯。

桑名市民のソウルリバー、町屋川です。


川沿いにはお寿司屋さんなどがあり、この一帯はフジの名所のようです。
藤棚がありました。

町屋橋を渡ると、四日市に近くなるのでコンビナートが見え始めます。

近鉄の伊勢朝日駅。

朝明橋を渡って、

一里塚橋を渡りました。あれ?一里塚は?

ありました、富田の一里塚。でもこのあたりには、一里塚の跡しか残っていません
ねぇ。

JR富田駅。お昼ご飯のために、ちょっと休憩です。
大阪では、この字「とんだ」と読みます。普通は「とみた」でしょうか。
ここは「とみだ」です。

雨も結構降って来て、この後波乱の展開に…。

(富田)→

あちらが海の方、脇本陣跡の「山月」が見えます。

こちらは進行方向です。マンホールは、やっぱり七里の渡し。

今や全国チェーンでレストランも出している「柿安」ですが、桑名が発祥の地。
桑名でもいろいろ経営してますが、

ここが本店です。

青銅製の鳥居です。
もともと鋳物業が盛んだった桑名らしい鳥居。「伊勢の桑名に過ぎたるものは、銅
(かね)の鳥居に二朱女郎」と言われていたものとか。普通の宿場では女郎さんは
一朱なのに桑名は高かったらしいですね。江戸と京都を除き、東海道では第二の宿
場町でした。

この近くに「歴史を語る公園」というのがありました。誰もいませんでしたが。



この石垣は、桑名城のもの。


日本一うるさい祭「石取祭」の資料館「石取会館」。
鉦や銅鑼をジャンジャン鳴らします。ここでも鋳物の町。

柿安の食肉部門の本店。お客さんが来ると、よく買いに走りました。


なぜか仏壇屋さんが多いですねぇ、桑名。仏具が鋳物だから?

カクっと曲がる道。宿場町の特徴です。

そうこうしているうちに、川に出て来ました。大きな常夜灯。

桑名市民のソウルリバー、町屋川です。


川沿いにはお寿司屋さんなどがあり、この一帯はフジの名所のようです。
藤棚がありました。

町屋橋を渡ると、四日市に近くなるのでコンビナートが見え始めます。

近鉄の伊勢朝日駅。

朝明橋を渡って、

一里塚橋を渡りました。あれ?一里塚は?

ありました、富田の一里塚。でもこのあたりには、一里塚の跡しか残っていません
ねぇ。

JR富田駅。お昼ご飯のために、ちょっと休憩です。
大阪では、この字「とんだ」と読みます。普通は「とみた」でしょうか。
ここは「とみだ」です。

雨も結構降って来て、この後波乱の展開に…。

(富田)→
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