関(西追分)→阪之下→(鈴鹿峠) 8.0km
さて鈴鹿を朝早く出て、一路「鈴鹿峠」へ向かいます。
これで3度目、関の地蔵院です。


この時期、どこの宿場でも燕の巣があって、皆子育てをしてました。

関の「西の追分」からスタートです。



鈴鹿川を渡ります。東海道沿いに、ずっと流れてますね。



皆さん、田植えの準備です。のんびりしてます。

広重が描いた「筆捨山」です。昔、絵師が山を描いていた時、天候が変わって
ぜんぜん違った山になってしまったので、筆を投げ捨てたところから筆捨山と
名付けられたようです。


阪之下(筆捨嶺)
一里塚跡です。

民家に植えられたお花は満開。この日は各地で30度を超えた暑さだったので、
チューリップはややぐったり。



「鈴鹿馬子唄会館」にやって来ました。変わった形です。

表には53次の宿場名が書かれた柱が…。坂下は49番目なので、シミジミしま
すね。


「坂は照る照る鈴鹿は曇る、間(あい)の土山、雨が降る」は、馬子唄だったん
ですねぇ。初めて知りました。ちなみに意味は、坂下は天気なのに鈴鹿は曇っ
ていて、土山では雨が降る…という事のようです。しかも続きがあって、その
話の方が長い!w 関の小萬さんの恋愛が唄われています。

坂下は、明治以降鉄道が走らなかったため、すっかり寂れてしまいました。
本陣が3つ、脇本陣が1つあったのに、今は面影もありません。

松屋本陣跡と大竹屋本陣跡

梅屋本陣跡と小竹屋脇本陣跡

(鈴鹿峠)→
これで3度目、関の地蔵院です。


この時期、どこの宿場でも燕の巣があって、皆子育てをしてました。

関の「西の追分」からスタートです。



鈴鹿川を渡ります。東海道沿いに、ずっと流れてますね。



皆さん、田植えの準備です。のんびりしてます。

広重が描いた「筆捨山」です。昔、絵師が山を描いていた時、天候が変わって
ぜんぜん違った山になってしまったので、筆を投げ捨てたところから筆捨山と
名付けられたようです。


阪之下(筆捨嶺)
一里塚跡です。

民家に植えられたお花は満開。この日は各地で30度を超えた暑さだったので、
チューリップはややぐったり。



「鈴鹿馬子唄会館」にやって来ました。変わった形です。

表には53次の宿場名が書かれた柱が…。坂下は49番目なので、シミジミしま
すね。


「坂は照る照る鈴鹿は曇る、間(あい)の土山、雨が降る」は、馬子唄だったん
ですねぇ。初めて知りました。ちなみに意味は、坂下は天気なのに鈴鹿は曇っ
ていて、土山では雨が降る…という事のようです。しかも続きがあって、その
話の方が長い!w 関の小萬さんの恋愛が唄われています。

坂下は、明治以降鉄道が走らなかったため、すっかり寂れてしまいました。
本陣が3つ、脇本陣が1つあったのに、今は面影もありません。


松屋本陣跡と大竹屋本陣跡


梅屋本陣跡と小竹屋脇本陣跡

(鈴鹿峠)→
この記事へのコメント
僕もGWは東海道の復習をしていました。
ちょうど同じ関から鈴鹿峠を通りましたよ。
クルマですけど…。