(五個荘)→武佐 8.0km
中山道歩きも終盤です。東海道の時は、草津でも宿泊して歩いていたのですが、
金銭的にもったいないのと、後もう少し…という気持ちから、ダラダラと刻んで
歩いています。本日は日帰り。
前回の、近江商人だらけの五個荘からスタートです。
どこまで行っても「てんびんの里」です。
銀行の跡?
そして豪邸の数々。
商家跡です。
少し郊外に行くと、藁葺きの家もありました。
五個荘と分かれて、安土へ入ります。
安土は今は近江八幡市ですが、安土城がありますからマンホールも信長の旗印、
永楽銭です。「ANZUCCI」って変わった表記だなと思ったら、宣教師や天正遣
欧少年使節が当時のヨーロッパに伝えた安土城の発音みたいです。
清水鼻立場。清水鼻名水が湧いています。
梅が咲いていました。右はロウバイ(蠟梅)?
奥石神社。「おいそ」と読みます。鎌宮と書いてあるのですが、「蒲生野宮」が
なまって名付けられたようです。後ろのうっそうとした森は、老蘇の森。こちら
も「おいそ」と読みます。
あちこちに細い道があって、入り込みたい気持ちになります。
鎌若宮神社。奥石神社の小型バージョンですね。
中には珍しい勧請縄が…。奥石神社にもあったそうです。
外の集落にもありました。魔除け?
近江八幡へ入ります。奥は八幡山で、左上のはそろばん柄の暖簾です。
泡子延命地蔵。
昔この村に茶店があり、茶店の娘が旅の僧に恋をしました。そして僧の飲み残し
た茶を飲みました。すると不思議なことに懐妊し、男の子を産みました。
3年後、その子を抱いて川で大根を洗っていると旅僧が現れて、「嗚呼不思議な
るかな、この子の泣き声がお経を読んでいるように聞こえる」と言いました。
この僧は、以前恋をした同じ僧でした。そして僧がその子に息を吹きかけた途端、
男の子は泡となって消えてしまいました。
…って、これ西行水に書いてあったお話とそっくりだ!
茶屋の娘って皆、お客の飲み残しのお茶を飲むの?(笑)
西生来一里塚。「にしょうらい」と読みます。滋賀県は京都に近いだけあって、
古い言い回し、難読文字が多いです。
武佐の宿場に入って来ました。
牟佐神社。江戸時代以前は、武佐は「牟佐」や「身狭」と書いたようです。
隣には、高札場跡。
平尾家という役人宅。
脇本陣跡。
警察跡。
宿場の中には、お揃いのかわいい暖簾があります。
武佐宿を象が通った時の絵。
中村屋。1989年武佐小学校卒業生による看板には、旅籠で町内唯一の旅館とあり
ますが、2011年火事で全焼してしまいました。
本陣跡。
伊勢の富田に行く道、八風街道との分かれ道。途中分かれ道が数カ所ありました。
松平周防守陣屋跡。
武佐駅です。
中山道、八風街道、東海道の説明図。
武佐宿→
金銭的にもったいないのと、後もう少し…という気持ちから、ダラダラと刻んで
歩いています。本日は日帰り。
前回の、近江商人だらけの五個荘からスタートです。
どこまで行っても「てんびんの里」です。
銀行の跡?
そして豪邸の数々。
商家跡です。
少し郊外に行くと、藁葺きの家もありました。
五個荘と分かれて、安土へ入ります。
安土は今は近江八幡市ですが、安土城がありますからマンホールも信長の旗印、
永楽銭です。「ANZUCCI」って変わった表記だなと思ったら、宣教師や天正遣
欧少年使節が当時のヨーロッパに伝えた安土城の発音みたいです。
清水鼻立場。清水鼻名水が湧いています。
梅が咲いていました。右はロウバイ(蠟梅)?
奥石神社。「おいそ」と読みます。鎌宮と書いてあるのですが、「蒲生野宮」が
なまって名付けられたようです。後ろのうっそうとした森は、老蘇の森。こちら
も「おいそ」と読みます。
あちこちに細い道があって、入り込みたい気持ちになります。
鎌若宮神社。奥石神社の小型バージョンですね。
中には珍しい勧請縄が…。奥石神社にもあったそうです。
外の集落にもありました。魔除け?
近江八幡へ入ります。奥は八幡山で、左上のはそろばん柄の暖簾です。
泡子延命地蔵。
昔この村に茶店があり、茶店の娘が旅の僧に恋をしました。そして僧の飲み残し
た茶を飲みました。すると不思議なことに懐妊し、男の子を産みました。
3年後、その子を抱いて川で大根を洗っていると旅僧が現れて、「嗚呼不思議な
るかな、この子の泣き声がお経を読んでいるように聞こえる」と言いました。
この僧は、以前恋をした同じ僧でした。そして僧がその子に息を吹きかけた途端、
男の子は泡となって消えてしまいました。
…って、これ西行水に書いてあったお話とそっくりだ!
茶屋の娘って皆、お客の飲み残しのお茶を飲むの?(笑)
西生来一里塚。「にしょうらい」と読みます。滋賀県は京都に近いだけあって、
古い言い回し、難読文字が多いです。
武佐の宿場に入って来ました。
牟佐神社。江戸時代以前は、武佐は「牟佐」や「身狭」と書いたようです。
隣には、高札場跡。
平尾家という役人宅。
脇本陣跡。
警察跡。
宿場の中には、お揃いのかわいい暖簾があります。
武佐宿を象が通った時の絵。
中村屋。1989年武佐小学校卒業生による看板には、旅籠で町内唯一の旅館とあり
ますが、2011年火事で全焼してしまいました。
本陣跡。
伊勢の富田に行く道、八風街道との分かれ道。途中分かれ道が数カ所ありました。
松平周防守陣屋跡。
武佐駅です。
中山道、八風街道、東海道の説明図。
武佐宿→
この記事へのコメント