塩飽本島 香川

今回の旅の目的は街道ではなく、古くから海上交通の要所として栄え、塩飽水軍の本拠地
だった塩飽本島へ渡ることです。

これは、江戸時代に広大な塩田開発を行い「塩田王」となった野崎武左衛門が建てた、旧
野崎浜灯明台。
4.jpgこの日は、史上最大の寒波がやって来た時で、船が欠航するかドキドキでした。瀬戸大橋
観光クルージングの方は、欠航。
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港の待合室にも、ジーンズがいっぱい。
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本島に到着です。少しだけ揺れましたが、瀬戸内海は波が静かですね。
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レンタサイクルを借りて、島を一周することに。サイクリング経験が豊富な友達は普通車
を、私は電動車をチョイス。この後、友達は深く後悔することになるのでした…笑。

咸臨丸のモニュメント。なぜ塩飽で咸臨丸?と思いましたが、咸臨丸の50名の水夫の内、
35人が塩飽出身者だったそうです。塩飽水軍の伝統ですねぇ。
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港町と猫はつきものですが、ここ本島でもニャンコだらけでした。
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木烏(こがらす)神社。
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塩飽には水軍だけではなく、腕のよい大工さんも豊富にいて、神社の彫り物は立派です。
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境内には、芝居小屋「千歳座」があります。
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塩飽には、全国でここだけにある人名(にんみょう)制度があって、秀吉が朱印状でその
地位を保証しました。身分としては「大名・小名・人名・士・農・工・商」の順だったそ
うです。人名の人数は、塩飽で650人。
吉田、宮本、入江、真木の4家で、年寄として統治していました。

これは入江四郎左衛門さんのお墓。
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これは宮本家のお墓。年寄のお墓は、3ヵ所残っています。
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塩飽勤番所跡。ここに4家が順番に詰めて、政務にあたっていました。
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埋め墓。塩飽には、両墓制が残っています。これは日本で数カ所ぐらいしかないそうです。
両墓制とは、遺体を埋める場所と、墓参する場所が違う形態で、遺体の埋葬地には石や木
が立つ場合もありますが、基本個人の区別はありません。掘り返して、後で亡くなった人
を土葬にすることもあるそうです。
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専称寺の境内にある、吉田家のお墓。
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笠島地区の町並です。ここでお昼を食べたかったのですが、どこのお店も開いていません
でした。寒いもんなぁ…。見学する気力もありません。耳と手足先がちぎれる!
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「町通り」が訛った「マッチョ通り」。
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ここから島の反対側までは、基本何もありません。アップダウンがかなりきつくて、友達
はついに自転車を押しましたw。変速なしのママチャリでは、ちょっと無理だなぁ。

廃校になった、水見色小学校。坂口憲二主演の「機関車先生」という映画が、撮られた場
所だそうです。
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倒壊しそうですね。「二十四の瞳」とは、えらい格差です。
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蔵がペアになった、珍しい夫婦倉。
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これも彫刻が立派な、三所神社。この神社も倒壊しそうです。
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ゆるぎ岩観音。
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島の西側を走る時は、もう雪でした。寒いよぉ〜〜〜。
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天気がよかったら、のんびりしたいい所なんだろうけど…。
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塩飽本島→

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