近露→比曽原→継桜→中ノ河→小広 7.2km
足の具合もよくなって来て、敦賀以来の街道歩きです。今回は熊野古道の、近露王子
からスタート。
近露伝馬所跡。江戸時代、連絡用の馬がいた場所です。
登って行きます。
比曽原王子跡。
当然、左の登る方へ。
クリスマス前だったので、賑やかな雰囲気のお宅。
でも都会のイルミと違って、手作り感満載で素朴ですねぇ。
野中伝馬所跡。田辺と本宮の間には、上三栖、芝、高原、近露、野中、伏拝にあった
そうです。
継桜王子。
継桜王子には「野中の一方杉」という、樹齢800年の杉の巨木群があります。
すべての枝が南の方角、つまり那智山の方角を指しているといわれるご神木です。
秀衡桜。
奥州平泉の藤原秀衡は、40歳を過ぎても子どもに恵まれないので、熊野権現へ17日
の参篭をして願をかけました。その願はかなえられて妻はみごもり、そのお礼詣りに
と妻と旅立ち、滝尻に着きました。すると妻が突然産気づき、五大王子が現れて「こ
の山上に胎内くぐりという大きな岩屋があるので、急いで出産して、子供はそこに預
けて熊野へ参詣しなさい」とお告げを言います。
その通りにして途中の野中で手折りにした桜の杖を地にさし、「参詣の帰り途この杖
に花が咲いていたら無事」と立願して本宮へ急ぎ、熊野大権現を拝礼し、野中に戻る
と桜の花は元気に咲いていました。あわてて岩屋に行くと、赤ん坊は一匹の狼に守ら
れ、岩から白くしたたる乳を飲んで丸々と太っていました。この子供が後の藤原忠衡
です。
胎内くぐりと乳岩って、こういう伝説があるんですね。
秀衡桜は2代3代と植え替えられて、今もあるようです。これは枯れたもの。
手製の小便小僧?の先には、ジュースを冷やして販売中でしたw。
中川王子跡。
小広王子跡。
本日は、ここまで。
小広王子→
からスタート。
近露伝馬所跡。江戸時代、連絡用の馬がいた場所です。
登って行きます。
比曽原王子跡。
当然、左の登る方へ。
クリスマス前だったので、賑やかな雰囲気のお宅。
でも都会のイルミと違って、手作り感満載で素朴ですねぇ。
野中伝馬所跡。田辺と本宮の間には、上三栖、芝、高原、近露、野中、伏拝にあった
そうです。
継桜王子。
継桜王子には「野中の一方杉」という、樹齢800年の杉の巨木群があります。
すべての枝が南の方角、つまり那智山の方角を指しているといわれるご神木です。
秀衡桜。
奥州平泉の藤原秀衡は、40歳を過ぎても子どもに恵まれないので、熊野権現へ17日
の参篭をして願をかけました。その願はかなえられて妻はみごもり、そのお礼詣りに
と妻と旅立ち、滝尻に着きました。すると妻が突然産気づき、五大王子が現れて「こ
の山上に胎内くぐりという大きな岩屋があるので、急いで出産して、子供はそこに預
けて熊野へ参詣しなさい」とお告げを言います。
その通りにして途中の野中で手折りにした桜の杖を地にさし、「参詣の帰り途この杖
に花が咲いていたら無事」と立願して本宮へ急ぎ、熊野大権現を拝礼し、野中に戻る
と桜の花は元気に咲いていました。あわてて岩屋に行くと、赤ん坊は一匹の狼に守ら
れ、岩から白くしたたる乳を飲んで丸々と太っていました。この子供が後の藤原忠衡
です。
胎内くぐりと乳岩って、こういう伝説があるんですね。
秀衡桜は2代3代と植え替えられて、今もあるようです。これは枯れたもの。
手製の小便小僧?の先には、ジュースを冷やして販売中でしたw。
中川王子跡。
小広王子跡。
本日は、ここまで。
小広王子→
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