氏家→喜連川→佐久山→大田原 26.7km
この日は電車やバスのない地域を歩くので、コンビニでおにぎりを買って行きました。
本当は佐久山ぐらいで終了したかったのですが、そこから矢板へ歩かなければならず、
どうせ歩くなら街道を大田原まで行こう…ということになりました。
氏家では、「雛めぐり」というイベントがあるようです。
瀧澤家住宅。
大きなお宅がいっぱいです。大谷石の蔵があり、車庫だけで面積は我が家ぐらいあり
ますw。
栄養ドリンクかと思いきや、農薬のようでした。
旧氏家町上野のマンホール。
勝善神。正しくは「蒼前」で、葦毛で四本の足の膝から下が白い馬のことです。
8才になると白馬になると信じられ、東北地方では「ショウデンサマ」と呼んで、信
仰の対象でした。普通の馬頭観音信仰が馬の安全や健康、死馬の冥福を祈るものなの
に対して、勝善神は馬の産地で名馬の誕生を祈願する意味の強い信仰のようです。
早乙女坂古戦場。1549年の戦い。
今回の奥州街道で、唯一古道が残されている部分です。
あっという間に終わりましたが、とってもよい感じ♪
荒川を渡ります。
喜連川の宿に、入って来ました。
喜連川神社。ここの端っこの公園をお借りして、ランチタイムです。
本陣は、警察、郵便局、銀行などを経て、街の駅になっています。
内川。
これ、道祖神でしょうか?
と思ったら、こちらの古いものを目立つ場所に建てたようですね。
ほほえみ仏像。
仏様がいっぱいです。
佐久山宿に入ります。
箒川。
大田原に入ってくると、那須与一がやたらに出てきます。出生地だそうです。
なぜか聖徳太子の碑。周辺は糸魚(いとよ)の生息地。
名木、赤マツ。
浦蘆碑。1812年、一隊の兵士が刀を持って槍を立て行進する蜃気楼が現れました。
土地の者に聞くと「浦蘆(ほろ)」だと答えたので、甲州の行脚僧が刻みました。
町初碑。
どんどん歩いていますが、単調な道なのでテンションは下がり、日が沈むにつれ疲
れはMAXに…涙。
大田原に着く頃は、真っ暗になりました。やはり与一の弓の的デザイン。
ライトアップも、最後まで与一でした。
距離が長過ぎて、2つに地図を分割しました。久しぶりに足にマメができました。
大田原宿→
本当は佐久山ぐらいで終了したかったのですが、そこから矢板へ歩かなければならず、
どうせ歩くなら街道を大田原まで行こう…ということになりました。
氏家では、「雛めぐり」というイベントがあるようです。
瀧澤家住宅。
大きなお宅がいっぱいです。大谷石の蔵があり、車庫だけで面積は我が家ぐらいあり
ますw。
栄養ドリンクかと思いきや、農薬のようでした。
旧氏家町上野のマンホール。
勝善神。正しくは「蒼前」で、葦毛で四本の足の膝から下が白い馬のことです。
8才になると白馬になると信じられ、東北地方では「ショウデンサマ」と呼んで、信
仰の対象でした。普通の馬頭観音信仰が馬の安全や健康、死馬の冥福を祈るものなの
に対して、勝善神は馬の産地で名馬の誕生を祈願する意味の強い信仰のようです。
早乙女坂古戦場。1549年の戦い。
今回の奥州街道で、唯一古道が残されている部分です。
あっという間に終わりましたが、とってもよい感じ♪
荒川を渡ります。
喜連川の宿に、入って来ました。
喜連川神社。ここの端っこの公園をお借りして、ランチタイムです。
本陣は、警察、郵便局、銀行などを経て、街の駅になっています。
内川。
これ、道祖神でしょうか?
と思ったら、こちらの古いものを目立つ場所に建てたようですね。
ほほえみ仏像。
仏様がいっぱいです。
佐久山宿に入ります。
箒川。
大田原に入ってくると、那須与一がやたらに出てきます。出生地だそうです。
なぜか聖徳太子の碑。周辺は糸魚(いとよ)の生息地。
名木、赤マツ。
浦蘆碑。1812年、一隊の兵士が刀を持って槍を立て行進する蜃気楼が現れました。
土地の者に聞くと「浦蘆(ほろ)」だと答えたので、甲州の行脚僧が刻みました。
町初碑。
どんどん歩いていますが、単調な道なのでテンションは下がり、日が沈むにつれ疲
れはMAXに…涙。
大田原に着く頃は、真っ暗になりました。やはり与一の弓の的デザイン。
ライトアップも、最後まで与一でした。
距離が長過ぎて、2つに地図を分割しました。久しぶりに足にマメができました。
大田原宿→
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