尾鷲→(八鬼山峠)→(名柄バス停) 14.6km

熊野古道伊勢路、最大の難所、八鬼山越えです。尾鷲から歩き始めます。
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在蔵。紀州藩へ税として収める米や、飢饉に備えた備蓄米の保管庫です。
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最初「やのはま道」(矢ノ浜道)という部分を通ります。
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民家の軒先や裏側を通って行きます。
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「炭がま」と書いてありました。
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こちらには「石垣」。災害対策なのかなぁ。
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「ままになるならあの八鬼山を鍬でならして通わせる」、尾鷲節を刻んだ道標。
三木里の庄屋の娘お柳と、矢ノ浜の大工の弟子喜久八の悲恋を唄った民謡だそうです。
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八鬼山峠の登り口。
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籠立場。紀州藩主などが、休息した場所です。
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八鬼山の町石。1町ごとに置かれた道標で、お地蔵様です。
本当は50体あったそうですが、現存するのは33体。
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道は石畳で美しいですが、とてつもなく歩きにくいです。
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カニがいました。結構大きいです。
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そして八鬼山最大の難所と呼ばれる「七曲」。
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ヘロヘロになって登り切りました。桜茶屋一里塚。松と山桜が植えられていました。
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私たちは、七曲を過ぎたら峠だと思っていたのですが、甘かった…。
まだまだ登ります。
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蓮華石と烏帽子岩。
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そして峠到着かと思ったら、なんと九木峠という別の峠でした。
どうやらここから別の山に入るらしい…。
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予定が何度も崩れるので、精神的ショックが大きいです。そして暑い…。
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三宝荒神のお堂。
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そして到着しました八鬼山峠。三木峠茶屋があったそうです。
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きれいな苔。
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登ったら、下ります。十五郎茶屋跡。茶屋跡だけでなく、本当のカフェが欲しい!
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以前は熊野古道伊勢路を世界遺産にしようとする自治体と、不満を持つ地権者が激し
く争ったお話は聞いていました。登って来る道の蓮華石と烏帽子岩他には毒々しいス
プレーで字が描かれ登山者は心を痛めましたが、幸いうまく消されていて知らない方
だったらまったく気にならなかったと思います。でも山の反対側の字はまだ消えてい
なくて、ちょっと淋しくなりました。木が育って、隠してくれることを願います。
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私たちの歩いている江戸道と明治道の合流点。普通明治道は道幅も広く傾斜も緩やか
なのですが、八鬼山峠の明治道は、整備をしていなくて通行止めです。
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反対側の籠立場。
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下りは石畳に苔が生えてよく滑り、私はここで転びました。
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やっと登り口まで下りて来ました。
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名柄一里塚。ここにも松と山桜が植えられていました。
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黄色い花の中を歩きます。ハンカイソウ?
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そして三木里海水浴場に出て来ました。
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この時点で電車もバスもなくなってしまって、尾鷲までタクシーに乗ることに。
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潮風に吹かれてのんびりタクシーを待ちましたが、本当に気落ちのよい場所でした。
そしてやって来たタクシーの運転手さんは、とっても親切な方でした。
尾鷲の火力発電所が閉鎖されて取り壊される話や、漁船が尾鷲港に入らず他へ行って
しまう話など、ちょっと淋しいお話を聴きつつ都会にはない丁寧な接客に感心しまし
た。尾鷲の方は親切です。
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(名柄バス停)→

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