宮→岩塚→万場→神守→(津島) 20.1km
東海道の熱田→桑名間の七里の渡しの迂回路、佐屋街道を歩いて来ました。
まず津島に車を置いて熱田まで戻ろうとしましたが、名鉄に津島線と尾西線がある
のがわからず、津島からうっかり尾西線に乗って一宮まで行ってしまいました。
早くホテルを出たのに、かなりのロスでした。
熱田神宮の「あつた蓬莱軒 神宮店」側の鳥居。「あつた蓬莱軒」、開店の2時間前
でしたが、もう人が並んでいました。すごい!
名古屋へ行く美濃街道と佐屋街道の分岐点。
美濃街道方面へ
名古屋宿→
ほうろく地蔵。
長い歩道橋は、道幅の広い名古屋ならでは。
神宮の「宮きしめん」側の鳥居。
熱田神宮第一神門跡。
佐屋路の道標。
堀川の尾頭橋を渡ります。
尾頭橋商店街。
五女子と書いて「ごにょうし」と読みます。昔、古渡村の裕福な家に7人の娘がい
て、近在の村々に嫁ぎそれぞれが多くの子を産み子孫繁栄したという村の名前に基
づいています。一女子から七女子まであったそうですが、現在残っているのは二女
子(ににょし)と四女子(しにょし)と五女子町です。
佐屋街道のプレート。
最後のが、何なのか不明。
光明寺。このあたりが岩塚宿です。
七所社。
七所社まで行かず、左へ曲がります。
庄内川を渡ります。
渡り終えると、秋葉神社。
ここには、万場の渡しがありました。
そして万場宿も。
国玉神社。万場宿の高札場がありました。
このあたりは川ばかり。新川を渡ります。
横井庄一記念館。このあたりの方なんですね。
七宝焼原産地道標。全国にいろいろな七宝焼はありますが、ここは尾張七宝の中心
地です。地名も、七宝町。
神守の一里塚。
津島秋まつりの山車倉庫。南町。
中町。
神守宿の中心付近。
日光川を渡ります。
津島神社へ続く津島街道と佐屋街道の追分、埋田追分です。
常夜灯と津島神社の一の鳥居がありました。
鳥居は、伊勢湾台風で倒壊したそうです。
ここで佐屋街道とお別れ、津島駅へ向かいます。続きは次回に。
津島市のマンホール。
(津島)→
まず津島に車を置いて熱田まで戻ろうとしましたが、名鉄に津島線と尾西線がある
のがわからず、津島からうっかり尾西線に乗って一宮まで行ってしまいました。
早くホテルを出たのに、かなりのロスでした。
熱田神宮の「あつた蓬莱軒 神宮店」側の鳥居。「あつた蓬莱軒」、開店の2時間前
でしたが、もう人が並んでいました。すごい!
名古屋へ行く美濃街道と佐屋街道の分岐点。
美濃街道方面へ
名古屋宿→
ほうろく地蔵。
長い歩道橋は、道幅の広い名古屋ならでは。
神宮の「宮きしめん」側の鳥居。
熱田神宮第一神門跡。
佐屋路の道標。
堀川の尾頭橋を渡ります。
尾頭橋商店街。
五女子と書いて「ごにょうし」と読みます。昔、古渡村の裕福な家に7人の娘がい
て、近在の村々に嫁ぎそれぞれが多くの子を産み子孫繁栄したという村の名前に基
づいています。一女子から七女子まであったそうですが、現在残っているのは二女
子(ににょし)と四女子(しにょし)と五女子町です。
佐屋街道のプレート。
最後のが、何なのか不明。
光明寺。このあたりが岩塚宿です。
七所社。
七所社まで行かず、左へ曲がります。
庄内川を渡ります。
渡り終えると、秋葉神社。
ここには、万場の渡しがありました。
そして万場宿も。
国玉神社。万場宿の高札場がありました。
このあたりは川ばかり。新川を渡ります。
横井庄一記念館。このあたりの方なんですね。
七宝焼原産地道標。全国にいろいろな七宝焼はありますが、ここは尾張七宝の中心
地です。地名も、七宝町。
神守の一里塚。
津島秋まつりの山車倉庫。南町。
中町。
神守宿の中心付近。
日光川を渡ります。
津島神社へ続く津島街道と佐屋街道の追分、埋田追分です。
常夜灯と津島神社の一の鳥居がありました。
鳥居は、伊勢湾台風で倒壊したそうです。
ここで佐屋街道とお別れ、津島駅へ向かいます。続きは次回に。
津島市のマンホール。
(津島)→
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