長府→赤間関 10.8km
これは、リアルタイムの旅行記ではありません。休日自粛中です。
長府の町には、電線がありません。日本中、こうあるべきですね。空が広い!
お寺も多いです。
女流歌人、一字庵菊舎の墓と句碑。
長府宿は金屋宿と言うのでしょうか?
正円寺。
境内に、大銀杏と昭和な展示物がありました。
忌宮神社。「忌」とは、珍しい名前ですね。
堂崎の渡し場跡。
大庭傅七、柯公旧宅跡。長府藩の大年寄を務めた家柄の方。
長府毛利邸。
下関市立歴史博物館。
功山寺。
初詣なのか、よい雰囲気の老夫婦。
市立長府博物館。博物館多いですね。文化の香りが高い町です。
関門橋が見えて来ました。
ここからちょっと登ります。
かなりな急坂です。
登りつめた所は、火の山ロープウェイの乗り場でした。冬場は動いていません。
後はひたすら坂を下って行きます。
大砲が並んだ海岸に出ました。壇ノ浦砲台跡です。
攘夷戦争に備え、長州藩が造った砲台がレプリカで並んでいます。
お金を入れると、発射音がする砲台もあります。
下関と門司を結ぶ、関門トンネル人道入口。
壇ノ浦の戦いの源義経。
同じく錨を巻き付けて、海に沈もうとする平知盛。
立石稲荷神社。
ご神体の烏帽子岩。
赤間神宮。入水した安徳帝を祀っています。竜宮城みたいですね。
空いていたので、初詣しました。
本陣伊藤邸跡。坂本龍馬を支援し、彼が活動拠点とした場所だそうです。
下関市役所。
馬関越荷方役所跡。馬関とは、下関のことです。
赤間関を「赤馬関」と書いたことから由来します。
山口銀行旧本店。
ここが山陽道の起点、つまり私たちにとっては終点です。一里塚跡。
下関駅。
長門 下の関(歌川広重)
西国・山陽道まとめ→
長府の町には、電線がありません。日本中、こうあるべきですね。空が広い!
お寺も多いです。
女流歌人、一字庵菊舎の墓と句碑。
長府宿は金屋宿と言うのでしょうか?
正円寺。
境内に、大銀杏と昭和な展示物がありました。
忌宮神社。「忌」とは、珍しい名前ですね。
堂崎の渡し場跡。
大庭傅七、柯公旧宅跡。長府藩の大年寄を務めた家柄の方。
長府毛利邸。
下関市立歴史博物館。
功山寺。
初詣なのか、よい雰囲気の老夫婦。
市立長府博物館。博物館多いですね。文化の香りが高い町です。
関門橋が見えて来ました。
ここからちょっと登ります。
かなりな急坂です。
登りつめた所は、火の山ロープウェイの乗り場でした。冬場は動いていません。
後はひたすら坂を下って行きます。
大砲が並んだ海岸に出ました。壇ノ浦砲台跡です。
攘夷戦争に備え、長州藩が造った砲台がレプリカで並んでいます。
お金を入れると、発射音がする砲台もあります。
下関と門司を結ぶ、関門トンネル人道入口。
壇ノ浦の戦いの源義経。
同じく錨を巻き付けて、海に沈もうとする平知盛。
立石稲荷神社。
ご神体の烏帽子岩。
赤間神宮。入水した安徳帝を祀っています。竜宮城みたいですね。
空いていたので、初詣しました。
本陣伊藤邸跡。坂本龍馬を支援し、彼が活動拠点とした場所だそうです。
下関市役所。
馬関越荷方役所跡。馬関とは、下関のことです。
赤間関を「赤馬関」と書いたことから由来します。
山口銀行旧本店。
ここが山陽道の起点、つまり私たちにとっては終点です。一里塚跡。
下関駅。
長門 下の関(歌川広重)
西国・山陽道まとめ→
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