大股→三浦口 15.7km
大股のバス停まで、ホテルのせ川の支配人さんに送ってもらいました。
次の宿泊先、三浦口の農家民宿山本の奥様を「やさしくて親切だ」と絶賛して
ました。ちょっと安心。小辺路は大股に2軒、三浦口に2軒しか宿泊先がないの
で、あぶれた方はテントや山小屋泊となり、36時間歩き通すという猛者もある
ようです。のせ川はまだ収容人数が多いですが、三浦口は両方民宿で多く泊ま
れません。前日も宿泊先がない方が続出し、年配のご夫婦は危険なのでタクシ
ーでスキップを勧めたそうです。これで欧米人がいたら、すごい事になってま
したね。欧米人は、野宿平気かな。
坂をグイグイ上がります。すごい斜度です。
そのため高度は、一気に上がります。昨日と打って変わってよいお天気。
萱小屋跡にある山小屋。
ペースの速い方は、大股を通り越してここで泊まります。
どんどん登って、桧峠に出ました。
この日の最高点、伯母子峠1,220m到着です。ここは、屋根のある施設はありま
せんでした。本当に、1日前でなくてよかった…。
のせ川さんのお弁当を食べます。
歩きにくいです。
旅籠 上西家跡に到着。ここも馬子たちで賑わった場所。
左に曲がって、山を登ります。
水ケ元茶屋跡。山姥が住んでいたらしいです。
待平(松平)。
道路に下りて来ました。
振り返ってパチリ。
三田谷橋。
腰抜田。南北朝の頃、五百瀬を通ろうとした大塔宮護良親王がそこの荘司に通行
妨害され、錦の御旗を渡してやっと許可されます。遅れて来た宮の家来の村上義
光は、怒って荘司の家来を投げ飛ばし御旗を奪い返します。その時家来が腰を抜
かしたので、その田を腰抜田と呼ぶそうです。明治の水害で、埋没してしまいま
した。
本当は三田谷橋で連絡すれば宿のお迎えがあったようですが、800m先の三浦口
のバス停まで歩き遅くなってしまいました。
三浦口→
次の宿泊先、三浦口の農家民宿山本の奥様を「やさしくて親切だ」と絶賛して
ました。ちょっと安心。小辺路は大股に2軒、三浦口に2軒しか宿泊先がないの
で、あぶれた方はテントや山小屋泊となり、36時間歩き通すという猛者もある
ようです。のせ川はまだ収容人数が多いですが、三浦口は両方民宿で多く泊ま
れません。前日も宿泊先がない方が続出し、年配のご夫婦は危険なのでタクシ
ーでスキップを勧めたそうです。これで欧米人がいたら、すごい事になってま
したね。欧米人は、野宿平気かな。
坂をグイグイ上がります。すごい斜度です。
そのため高度は、一気に上がります。昨日と打って変わってよいお天気。
萱小屋跡にある山小屋。
ペースの速い方は、大股を通り越してここで泊まります。
どんどん登って、桧峠に出ました。
この日の最高点、伯母子峠1,220m到着です。ここは、屋根のある施設はありま
せんでした。本当に、1日前でなくてよかった…。
のせ川さんのお弁当を食べます。
歩きにくいです。
旅籠 上西家跡に到着。ここも馬子たちで賑わった場所。
左に曲がって、山を登ります。
水ケ元茶屋跡。山姥が住んでいたらしいです。
待平(松平)。
道路に下りて来ました。
振り返ってパチリ。
三田谷橋。
腰抜田。南北朝の頃、五百瀬を通ろうとした大塔宮護良親王がそこの荘司に通行
妨害され、錦の御旗を渡してやっと許可されます。遅れて来た宮の家来の村上義
光は、怒って荘司の家来を投げ飛ばし御旗を奪い返します。その時家来が腰を抜
かしたので、その田を腰抜田と呼ぶそうです。明治の水害で、埋没してしまいま
した。
本当は三田谷橋で連絡すれば宿のお迎えがあったようですが、800m先の三浦口
のバス停まで歩き遅くなってしまいました。
三浦口→
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