ヨドコウ迎賓館 兵庫
芦屋川のヨドコウ迎賓館へ行って来ました。完全予約制です。
旧帝国ホテルを設計した建築家のF.L.ライトが、灘の酒造家の8代目山邑太左衛門
の依頼を受けて1918年に別邸として設計した建物です。ライトが帰国後の1924
年に、彼の弟子の遠藤新、南信らによって建築されました。
窓にあるのは「飾り銅板」で、緑青(ろくしょう)をわざと発生させ外の緑の樹
木とマッチさせています。窓やドアにたくさん付いています。
この建物は、斜面に建てられた4階建てです。煙突みたいに見える所が屋上。
建物は、宇都宮の大谷石を使っています。柔らかいので、彫刻しやすいですね。
2階の応接室に入ります。2階には応接室だけで、最初の部屋です。
狭い廊下の先に…。
3方向窓の、広い空間が出現します。これがライトの演出。
振り返って、出入口方面を撮っています。
このたくさんある小窓で、通風孔の代わりをして湿度を調整していました。
この大量の窓を開け閉めするのは、女中さんの仕事です。
3階です。和室の横の部屋の模型です。
ここは和室でお雛様が飾られていました。山邑氏の娘が誕生したのを記念して、
1900年頃(明治)に京都の老舗「丸平大木人形店」で造られました。京風の雛
人形セット、当時家が建つほど高価な足を折り曲げられる人形、明治天皇に許可
を得て姿を模したお花見人形セット。贅の限りをつくしたものです。「櫻正宗」
って今でもありますが、とんでもないお金持ちなのですね。欄間にも、飾り銅板
が…。この和室はライトの設計図にはありませんが、家族の強い要望で造られま
した。
造りつけの収納。壁面収納の元祖ですw。
遠近法っぽい壁。空間の遊びです。
外から見た小窓。
書斎です。この机や椅子は、当時のものを復元したもの。
ここには奥様の部屋があって、ご主人の書斎とつながっています。
しかも高さも、畳で座る奥様と立って話をする場合、ぴったりに。
トイレ。
お風呂。
窓開けで活躍している女中さんのお部屋。
4階の最上階は、食堂とキッチンです。
そして食堂から、ベランダに出られます。
振り返ったところ。食堂方面。
ここを下りて行きます。
遠くに見えるのは、阪神高速の湾岸線です。
非常に満足して、外へ出て来ました。美しい建物です。
駐車場から、別邸を見ます。
旧帝国ホテルを設計した建築家のF.L.ライトが、灘の酒造家の8代目山邑太左衛門
の依頼を受けて1918年に別邸として設計した建物です。ライトが帰国後の1924
年に、彼の弟子の遠藤新、南信らによって建築されました。
窓にあるのは「飾り銅板」で、緑青(ろくしょう)をわざと発生させ外の緑の樹
木とマッチさせています。窓やドアにたくさん付いています。
この建物は、斜面に建てられた4階建てです。煙突みたいに見える所が屋上。
建物は、宇都宮の大谷石を使っています。柔らかいので、彫刻しやすいですね。
2階の応接室に入ります。2階には応接室だけで、最初の部屋です。
狭い廊下の先に…。
3方向窓の、広い空間が出現します。これがライトの演出。
振り返って、出入口方面を撮っています。
このたくさんある小窓で、通風孔の代わりをして湿度を調整していました。
この大量の窓を開け閉めするのは、女中さんの仕事です。
3階です。和室の横の部屋の模型です。
ここは和室でお雛様が飾られていました。山邑氏の娘が誕生したのを記念して、
1900年頃(明治)に京都の老舗「丸平大木人形店」で造られました。京風の雛
人形セット、当時家が建つほど高価な足を折り曲げられる人形、明治天皇に許可
を得て姿を模したお花見人形セット。贅の限りをつくしたものです。「櫻正宗」
って今でもありますが、とんでもないお金持ちなのですね。欄間にも、飾り銅板
が…。この和室はライトの設計図にはありませんが、家族の強い要望で造られま
した。
造りつけの収納。壁面収納の元祖ですw。
遠近法っぽい壁。空間の遊びです。
外から見た小窓。
書斎です。この机や椅子は、当時のものを復元したもの。
ここには奥様の部屋があって、ご主人の書斎とつながっています。
しかも高さも、畳で座る奥様と立って話をする場合、ぴったりに。
トイレ。
お風呂。
窓開けで活躍している女中さんのお部屋。
4階の最上階は、食堂とキッチンです。
そして食堂から、ベランダに出られます。
振り返ったところ。食堂方面。
ここを下りて行きます。
遠くに見えるのは、阪神高速の湾岸線です。
非常に満足して、外へ出て来ました。美しい建物です。
駐車場から、別邸を見ます。
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