(紀伊天満)→那智 1.7km&補陀洛山寺
昼食を食べて街道へ戻ると、すぐ勝浦観光ホテルがあります。
ここでもマグロがのぞいていますが、古いホテルですね。
東南海地震に備えて、防災タワーがどこにでもあります。
「天白酢」の醸造元。
赤い道が私たちが歩いて来た「大辺路」、緑の道が以前来た「中辺路」。
矢印の先が、那智山です。
私たちは駅へ向かって歩きます。補陀洛山寺が見えました。
補陀洛渡会に使われた舟の模型。
熊野では海の彼方に常世の国があると信じられ、それに観音信仰が結びついて
渡海が行われるようになったと考えられています。観音菩薩が降臨する霊場を
補陀落といい、そこではすべての者の願いを聞き救いの手を差し伸べるとされ
ていました。868年慶竜上人が最初に渡海をし、その後18世紀初頭まで続きま
した。外に出られないように扉を釘でふさいだ小さな舟に、30日分の食糧と油
を積み、呪文を唱えながら伴舟に曳かれて海へと旅立ったといわれています。
恐ろしい習慣です。
渡海された方々のお墓。
平維盛の供養塔。
赤は大辺路、緑は中辺路を那智駅へ向かっています。
以前「浜の宮王子」近くにある「振分石」が、中辺路、大辺路、伊勢路の分岐
点だと書きましたが、今回はそこまで戻らず自然な感じで那智へ行く道を歩き
ました。
中辺路・熊野那智大社方面へ
那智→
熊野街道大辺路まとめ→
ここでもマグロがのぞいていますが、古いホテルですね。
東南海地震に備えて、防災タワーがどこにでもあります。
「天白酢」の醸造元。
赤い道が私たちが歩いて来た「大辺路」、緑の道が以前来た「中辺路」。
矢印の先が、那智山です。
私たちは駅へ向かって歩きます。補陀洛山寺が見えました。
補陀洛渡会に使われた舟の模型。
熊野では海の彼方に常世の国があると信じられ、それに観音信仰が結びついて
渡海が行われるようになったと考えられています。観音菩薩が降臨する霊場を
補陀落といい、そこではすべての者の願いを聞き救いの手を差し伸べるとされ
ていました。868年慶竜上人が最初に渡海をし、その後18世紀初頭まで続きま
した。外に出られないように扉を釘でふさいだ小さな舟に、30日分の食糧と油
を積み、呪文を唱えながら伴舟に曳かれて海へと旅立ったといわれています。
恐ろしい習慣です。
渡海された方々のお墓。
平維盛の供養塔。
赤は大辺路、緑は中辺路を那智駅へ向かっています。
以前「浜の宮王子」近くにある「振分石」が、中辺路、大辺路、伊勢路の分岐
点だと書きましたが、今回はそこまで戻らず自然な感じで那智へ行く道を歩き
ました。
中辺路・熊野那智大社方面へ
那智→
熊野街道大辺路まとめ→
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