(金山)→名古屋→清須 14.4km
以前歩いた朝鮮人街道は、鳥居本で中山道と合流し大垣からは美濃街道を通って
宮まで行き東海道と交わります。そして江戸へ行くわけですが、今回は逆走して
宮から大垣までの道を歩くことにしました。宮から佐屋街道の追分までは以前歩
いたので、金山にある追分から名古屋を通ります。
美濃街道と佐屋街道の追分。
佐屋街道方面へ
岩塚宿→
4車線道路にさらに広い自転車レーン。羨ましい限りです。
大阪の自転車レーンは、細過ぎて自転車が走れません。
橘町大木戸跡。
ここには大木戸があって、夜間の通行を制限していました。
酒樽の看板。
仏壇屋さんだらけの通り。
大須にやって来ました。
「大須観音」の記事はこちら
ここだけすごい人です。
歩道橋も、赤一色です。
この一帯では、警察の方が出て何かをしています。
この日は、名古屋まつりが行われる日で交通規制をしていたのです。
翌日の英傑行列では、手を振っていた信長役の方が落馬されたとか…。
名古屋名物、歩道橋。どこも撤去が進む中、名古屋は健在です。
道路が広いから車優先は仕方ないかもしれないけど、この先何度も渡ります。
伝馬橋。このもう少し南で、桑名に行くクルーズ船に乗ったような…。
今はサムライクルーズと呼ばれ、桑名までは行かないようです。
反対に桑名と宮を行き来する本当の七里の渡し船が、秋に行われるようです。
「七里の渡しクルーズ」の記事はこちら
このあたりは四間道と呼ばれ、元禄の大火の後整備された町です。
浅間神社。
樽屋町の大木戸跡。
名古屋凧のお店。
カクダイ製菓工場。
クッピーラムネがひっそりと置いてあります。
阪神の岡田監督のパイン飴のように、頑張らないとw。
庄内川に浮かぶ枇杷島は、大変な観光地だったようです。
今は埋め立てられて、地名に残っているだけですが…。
賑やかだったんだろうなぁ…。
橋のたもとの黒體龍王大神。格好いい名前の神社ですが、元は薄暗い雰囲気だっ
たとか。だったら怖いな。
6月になるとお祭りがあるようで、その山車。
問屋記念館。
山田九左衛門家の住居を、移築復元したものだそうです。山田家は、野口家とと
もに日本三大市場の一つである「下小田井の市」を支えた中心的な存在でした。
江戸時代の青物問屋の様式を伝える建物です。
木造3階建ての珍しいお家。
屋根に「屋根神様」という神棚のようなものが造られています。
後半は、雨がパラパラする展開に…。空が幻想的。
津島街道との分岐点。この辺りの新川はよく洪水が起こり、江戸時代に住民が尾
張藩に工事を願い出たそうです。
五条川を渡ると、清須宿です。なるほど川だらけですね。
信長と濃姫。
宿場の中心地、札の辻。
本陣がありました。
清洲駅に近い、ここでこの日は終了です。
清須宿→
宮まで行き東海道と交わります。そして江戸へ行くわけですが、今回は逆走して
宮から大垣までの道を歩くことにしました。宮から佐屋街道の追分までは以前歩
いたので、金山にある追分から名古屋を通ります。
美濃街道と佐屋街道の追分。
佐屋街道方面へ
岩塚宿→
4車線道路にさらに広い自転車レーン。羨ましい限りです。
大阪の自転車レーンは、細過ぎて自転車が走れません。
橘町大木戸跡。
ここには大木戸があって、夜間の通行を制限していました。
酒樽の看板。
仏壇屋さんだらけの通り。
大須にやって来ました。
「大須観音」の記事はこちら
ここだけすごい人です。
歩道橋も、赤一色です。
この一帯では、警察の方が出て何かをしています。
この日は、名古屋まつりが行われる日で交通規制をしていたのです。
翌日の英傑行列では、手を振っていた信長役の方が落馬されたとか…。
名古屋名物、歩道橋。どこも撤去が進む中、名古屋は健在です。
道路が広いから車優先は仕方ないかもしれないけど、この先何度も渡ります。
伝馬橋。このもう少し南で、桑名に行くクルーズ船に乗ったような…。
今はサムライクルーズと呼ばれ、桑名までは行かないようです。
反対に桑名と宮を行き来する本当の七里の渡し船が、秋に行われるようです。
「七里の渡しクルーズ」の記事はこちら
このあたりは四間道と呼ばれ、元禄の大火の後整備された町です。
浅間神社。
樽屋町の大木戸跡。
名古屋凧のお店。
カクダイ製菓工場。
クッピーラムネがひっそりと置いてあります。
阪神の岡田監督のパイン飴のように、頑張らないとw。
庄内川に浮かぶ枇杷島は、大変な観光地だったようです。
今は埋め立てられて、地名に残っているだけですが…。
賑やかだったんだろうなぁ…。
橋のたもとの黒體龍王大神。格好いい名前の神社ですが、元は薄暗い雰囲気だっ
たとか。だったら怖いな。
6月になるとお祭りがあるようで、その山車。
問屋記念館。
山田九左衛門家の住居を、移築復元したものだそうです。山田家は、野口家とと
もに日本三大市場の一つである「下小田井の市」を支えた中心的な存在でした。
江戸時代の青物問屋の様式を伝える建物です。
木造3階建ての珍しいお家。
屋根に「屋根神様」という神棚のようなものが造られています。
後半は、雨がパラパラする展開に…。空が幻想的。
津島街道との分岐点。この辺りの新川はよく洪水が起こり、江戸時代に住民が尾
張藩に工事を願い出たそうです。
五条川を渡ると、清須宿です。なるほど川だらけですね。
信長と濃姫。
宿場の中心地、札の辻。
本陣がありました。
清洲駅に近い、ここでこの日は終了です。
清須宿→
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