鉄の歴史博物館&菅谷高殿 島根
たたら製鉄を学ぶため、雲南の「鉄の歴史博物館」にやって来ました。
ここは、室町時代からたたら製鉄を始めた田部家の住宅を使って博物館と
しています。鎌倉時代、田部家は紀州から吉田村に入植し製鉄事業で大き
くなり、その後日本一の山林王と呼ばれるようになりました。
玄関前の鉄の塊。熱々の鉄を池などの水場に沈めて、固まった部分です。
まず「たたら製鉄」の映像を見るのですが、これがインパクトがあり過ぎ
てすっかり心を掴まれます。たたらは砂鉄と木炭を原料に、3〜4日不眠不
休で行われます。室町時代までは「野だたら」といって、山の中ほどで風
のよく吹く所など斜面に炉を築いて鉄を作っていました。江戸時代になる
と雨が降っても濡れないように高殿という建物を作り、その中で鉄を作る
ようになりました。村下(むらげ)とよばれる技師長の勘と経験が、でき
た鉄の品質を大きく左右したそうです。
職人の装束はシンプルで、タオルや手拭いで顔を覆ってはいますが今のよ
うな溶接用シールドもなく、必ず目をやられたと言います。
炉に風を送るフイゴは、動力源をこの後風車に変えます。
鉄は分類され、純度の高いものは玉鋼と呼ばれ日本刀の原料になりました。
博物館の前の道は、古い建物が並びよい雰囲気です。
そして田部家の土蔵群まで続いています。この鉄の歴史博物館は、まず最
初に見学されることをお勧めします。
続いて少し離れた「菅谷高殿」まで行きます。
大きな桂の木。甘い匂いが漂います。
砂鉄や木炭を入れる炉。
係の方が、わかりやすく説明してくれます。
この足踏みフイゴを踏み人を番子(ばんこ)と言い、「かわり番子」の語
源になりました。
三軒長屋。
村下のお家。
鉄の固まりを割る機械。
ここは、室町時代からたたら製鉄を始めた田部家の住宅を使って博物館と
しています。鎌倉時代、田部家は紀州から吉田村に入植し製鉄事業で大き
くなり、その後日本一の山林王と呼ばれるようになりました。
玄関前の鉄の塊。熱々の鉄を池などの水場に沈めて、固まった部分です。
まず「たたら製鉄」の映像を見るのですが、これがインパクトがあり過ぎ
てすっかり心を掴まれます。たたらは砂鉄と木炭を原料に、3〜4日不眠不
休で行われます。室町時代までは「野だたら」といって、山の中ほどで風
のよく吹く所など斜面に炉を築いて鉄を作っていました。江戸時代になる
と雨が降っても濡れないように高殿という建物を作り、その中で鉄を作る
ようになりました。村下(むらげ)とよばれる技師長の勘と経験が、でき
た鉄の品質を大きく左右したそうです。
職人の装束はシンプルで、タオルや手拭いで顔を覆ってはいますが今のよ
うな溶接用シールドもなく、必ず目をやられたと言います。
炉に風を送るフイゴは、動力源をこの後風車に変えます。
鉄は分類され、純度の高いものは玉鋼と呼ばれ日本刀の原料になりました。
博物館の前の道は、古い建物が並びよい雰囲気です。
そして田部家の土蔵群まで続いています。この鉄の歴史博物館は、まず最
初に見学されることをお勧めします。
続いて少し離れた「菅谷高殿」まで行きます。
大きな桂の木。甘い匂いが漂います。
砂鉄や木炭を入れる炉。
係の方が、わかりやすく説明してくれます。
この足踏みフイゴを踏み人を番子(ばんこ)と言い、「かわり番子」の語
源になりました。
三軒長屋。
村下のお家。
鉄の固まりを割る機械。
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